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往年のパンクロッカー、ウォルター・ルアーをめんたいロックの発祥地、福岡で観た(9月21日天神VOO DOO LOUNGE)。
75年産、純度100%のニューヨークパンク。HEARTBREAKERSでジョニー・サンダースとツートップを組んだ男――という紹介が最もポピュラーだろうか。80年代にHEROES、90年代にはWALDOSを率い、いまなおストリートレベルでの活動を続ける。御年63歳での初来日。 現在もWALDOSをバンドに持つが、今回はHITOMI TSURUKAWA & PIRATE LOVEとのコラボレーションという趣向。 鶴川仁美――。こちらもルアーに負けず劣らず、往年のロックファンには懐かしい響きを持って迎えられる人物だろう。陣内孝則率いるTh eRCOKERSのギタープレイヤーにしてバンドの核弾頭。80年代初頭のめんたいロックのアイコン的存在。 00年代中頃、大江慎也とのユニット「UN」でシーンにカムバック。その後、LIPSTICK KILLERS(*TITYY TWISTER feat.鶴川仁美)、DUDE、そしてPIRATE LOVEと、ジョニー・サンダース・トリビュートをテーマに活動を展開している。 ニューヨークパンクVSめんたいロック――。かたちは違えど、かつての「ウィルコ・ジョンソンVS鮎川誠」の名演を思い起こすなか、SEの"The Man with the Golden Arm"がフロアに鳴り響き、ご存知「パイプライン」で幕を開けた。 スポットに照らされたルアーの動きをひたすら目で追う。「悪漢の首領」と称された男もすでに老人の風格。しかし、柔和な表情にあっても眼光の鋭さは健在であり、シチリア・マフィアのボスを彷彿させる「静かなる狂気」を感じさせる。 対照的にファニーな衣装。アップリケたくさんのジャケットに、インナーは黒のTシャツ。襟がないのにボーダー柄のタイを首に巻き、ニューヨーカー仕立てのブラックハットでキメる。すなわちWALDOS1stシングルのコスチュームである。 年齢を感じさせぬ均整のとれた肉体。往時、CBCBやMAX'Sで魅せたであろう、慣れたしぐさで愛器ギブソン・レスポールをかき鳴らす。鶴川目当ての女性客たちも、たちまちのうちにこの男に魅了されていく様子がフロアの振動から伝わる。 "Get Off the Phone"、"Sorry"――。HEARTBREAKERSとWALDOSの両方からセレクトされたチューンが次々展開される。なんどもターンテーブルで鳴らした馴染みの曲だが今回は予習ゼロで臨んだ。そのぶん新鮮な響きが感じられた。つまりはとびきりに曲がよい。 ぶっきらぼうで、とっぽい唄いまわしは往時のまま。生来のキャラクターのなせる業だろう。気負いなくやってのける。"Let Go"でヴォーカルが鶴川にチェンジした。 実はこのとき違和感があった。「もしもジョニー・サンダースが蘇ったらという夢を体現し――」と謳われる宣伝文句から、サンダース「役」を鶴川が演じるフッテージは容易に想像できた。そのコンセプトに疑問を感じていたせいかもしれない。 ルアーと鶴川のふたりを、親指と人差し指で四角にしたファインダーで覗き込む。たとえは悪いが、実写映画と、キャストによる映画を並べて二画面で観ているような違和感を禁じえなかった。 MCの合間に、友人Sにそう話しかけた。すると意外にも反論がかえってきた。そうではないと。見間違えているぞと。そう諭したかったのかもしれない。以降、食い入るように鶴川を見つめた。 「めんたいロック」はニューヨークパンク、ロンドンパンクと時をほぼ同じくして生まれた「新種の毒花」だった。とびきり活きのよいビートはこの地の先達によって叩き込まれ、「素養」として備わっていた。「東京ロッカーズ」との出自の違い。 映画「爆裂都市」のなかで躍動する鶴川の姿はまさしくその象徴であった。長い年月を経てステージに戻ってきたいまもそのきらめきを失っていない。紛うことなき「オリジナル」であり、鶴川は鶴川仁美自身を演じていることにようやく気づいた。 企画趣旨に物申すつもりはないが、観たいのは現実である。幻想などではない。この国の名うてのパンクロッカーがルアーとどう対峙するのか――。 事実、ベースの玉井政司(RUDEBOYS)、ドラムスの大島治彦(ex-Zi:Lie YA)両名も主役を喰う勢いであり、NEW YORK DOLLS、HEARTBREAKERSを標榜しつつも、両者とは異なるPIRATE LOVE独自の強烈なビートが、ルアーの個性をより引き立たせていた。見事なコ ラボレーションだった。 いくつものシーンが思い出される。とりわけ印象深かったのが"Too Much Junky Business"でのパフォーマンス。ギターから手を離し、一番の歌詞をジェスチャーを交えて歌った。歌詞どおりに、二の腕にポンプをキメる所作がじつに堂に入っておりドキりとさせられた。 今ではすっかりクリーンとなったルアーだが、もとはサンダースやジェリー・ノーラン同様にヘロイン常用者。薬物を肯定するつもりは毛頭ないが、HEARTBREAKERSとはそうしたバンドだった。サンダースは91年没。ノーランも翌年逝った。ルアーはいまもステージに立つ。 "London Boys"、"Chinese Rocks"。いずれも今は亡き友との思い出の曲。MCでは彼らの名を口にした。それは「弔い」などといったウエットなものではなく、誰もいなくなっちまったなら、オレが歌い次いでいくしかないだろう――とでも言いたげな乾いた感情。ルアーの魅力の一端をみる。 二度もアンコールに応えた。本国ではあまりやらないことだという。終演後にこっそりそう教えてくれたのは、ツアーに同行した現WALDOSのギタープレイヤー、タクト氏。同じく日本人でベースのEZとともにバンドを牽引する。 長い長いファンの行列が途切れるのを待ち、ようやくルアーと対面した。「RAMONES FILE」(シンコーミュージック刊)で私がメールインタビューしたのが七年前。よもや会えるとは思いもしなかった。自己紹介すると、「Oh!! Takashi!!」と満面の笑み。こちらはといえば、あらかじめ用意してきたお礼のセリフを言うよりも先に、「"Crazy Little Baby"が聴けなくて残念だ」と無礼なことを口走る始末。それでも苦虫を噛み潰したような顔で「あの曲は咽にすごく負担がかかってね」と笑って答えてくれた。何度も握手を交わし、別れを惜しんだ。 フロアは、鶴川およびTh eRCOKERSの往年の女性ファンたち、それにロックに一家言あるマニアの二派が「呉越同舟」。平均年齢は40代前半といったところか。ここにとんがった10代のパンクスがいないのはいかにも寂しい。 原因のひとつにウォルター・ルアーの魅力に触れる機会がないことに気づく。HEARTBREAKERSの作品は容易に手に出来ても、WALDOSのアルバム"RENT PARTY"('94)は廃盤の状態が続く。このアルバムはよくあるロートル・パンクロッカーのカムバック盤などでは決してない。「70s/90s」といった括りも無用、パンクロック屈指の傑作である。この日、ここから6曲がセレクトされた。マニア向けのLPは出ているものの、ぜひCDでの再発を望みたい。 福岡のライヴから一週間。余韻覚めやらぬところへ、ルアーからメールが届いた。いつもどおりに青色のフォントで綴られている。親日家のニューヨーカーははじめて日本がいたく気に入った様子。このブログへも感謝の言葉が綴られている。律儀なお人だ。そしてこう括られていた。「来年、また行くからな」。望むところだ。 ジョン・ホルムストロームとレッグス・マクニールのふたりが、この新種のロックを「パンク」と名づけてから四半世紀と少し。時代を重ねるごとに多くの音楽を吸収するかたちでパンクは進化を遂げてきた。それをも「パンク」とすることに異論を唱える者も多い。一方で70年代のオリジナルパンクはもはや古典であり、太古の文明のように語られることもしばしばである。 それぞれの世代で「俺たちのパンク」があってよいだろう。しかし、「最初の一歩」のなんと尊いことか。矜持に満ちた一流のパフォーマンスだった。 追記:画像1はルアーに書いていただいたサイン。左利きであった。画像2は「関連画像」ということで、ジョニー・サンダース初来日、福岡公演のフライヤーを。今を去ること22年前、1985年1月26日の出来事。私は迷った末に観にいかなかった。
by nut_f
| 2012-10-04 03:54
| live review
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